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森を歩きたい


当時、毎月のように信州や山梨の山に山歩きに行っていた。
山歩きというよりは時に「危ない山歩き」もしていたと思う。
それ程、熱中していた理由は、やはり山に佇む気配に魅力を感じていたことと そこに生きている一人の生き物としての自覚を強く感じることができたという ことだろう。
人は死を意識することで「生」の体験を身をもって意識するという。
死を意識することで、明日、明後日という未来を予知するのだという。
街に生きる私たちは本当の意味での「生」を強く感じられているのだろうか。
鈍化している感覚を呼び起こすことで、人は今見ていることが、全てではない ことを知ることができるのであろう。そのきっかけが、自分にとっては「山」だったのかもしれない。  

 

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